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福島汚染水の処分法から考える社会問題解決のあり方

Keywords : #東日本大震災 #福島原子力発電所 #汚染水 #海洋放出 #トリチウム #処理水


海洋


Theme


東日本大震災から10年を経た今でも被災地が抱えている問題は多くある。このグループでは、そのなかでも近年注目を集めている福島原子力発電所の汚染水を扱った。政府は汚染水を処理して海洋放出することを決定したが、改めてどのように処分することが妥当なのか、ディスカッションの場を持った。ディスカッションに参加するにあたり、あらかじめ汚染水について各自で調査し、ディスカッションの初めに汚染水の海洋放出について賛成/反対とその理由をそれぞれ募り、意見交換をした。この問題は、特にSDGsの目標7「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」と目標14「海の豊かさを守ろう」に関わる。


 

Discussion

処理水の海洋放出に賛成する理由
  1. 汚染水を処理した水(処理水)を海洋放出することで指摘される問題点はトリチウムという放射性物質を取り除けないということであるが、科学的にトリチウムにはほとんど危険性がないため。

  2. 海洋放出しようとしている処理水は国連やWHOが提示している国際基準を満たしているため。

  3. 処分にかかる費用は税金で賄うことになると思うが、海洋放出は他の処分方法に比べて費用がかからず、コストの面で効率的であるため。

  4. 議論しているだけで、何かわかりやすい動きがなければ、原発の問題はまだ残っているというイメージが払拭されない。科学的に安全だと証明されているのであれば、前進した方が良いと思うため。


反対する理由
  1. データとして、処理水が安全であることは理解できるが、安全であることをしっかりと伝えられないと漁業関係に特に風評被害が生じてしまい、その保証等をしなければならなくなるため。

  2. 科学的なデータよりも、少しでも不安を感じるものを放出しているということが問題だと思うため。

  3. メディアでは処理水の不安を煽る報道が多くあり、たとえ科学的に安全であったとしても、正しく安全性を伝えるのは難しいと感じるため。

  4. 漁業関係の方々の立場になると、漁業が生計を立てるすべてであり、海洋放出の不安は私たちが感じている以上に大きいと思うため。


議論の2つの観点とトリチウムの安全性

処理水の放出に対しては2つの観点から考えられる。一つは放射性物質が海水や魚に含まれ、それらを体に取り入れることにより人間が被曝してしまうという観点であり、もう一つは海洋汚染そのものに繋がってしまうという観点である。一般的に、危険かどうかという議論の中心は、人間の被曝であり、今回の放出による被曝量はほぼゼロである。また、放出している量は多く感じてしまうが、それ以上に自然の中にトリチウムは多く存在しているので、海洋汚染に繋がることもない


風評被害の原因は「科学性」より「印象」

トリチウムは自然界に大量に存在しており、その量に比べてはるかに少量のトリチウムを放出するというのに、風評被害が起こってしまう原因は何か。それは、自然にできたものであるのか、それとも、人工的につくられたものであるのかという違いによる。科学的に安全性が証明されていたとしても、印象の違いがあれば、風評被害は生じる


「知らない」ということを知り、全体を俯瞰して判断する

処理水の海洋放出について調査する前と後では、同じ問題でも感じ方が変わる。発言等を行う際には前もってしっかりと調査することが大切である。まずは自分自身があまり知らないということを認識しておくことが必要である。行動する際にはいろいろな仲間と繋がり、理念を共有した土台で情報を共有すると良い流れが生まれる。何が問題なのか、どうして賛成/反対としているのか、賛成する人はデメリットを小さく見積もり、反対する人はデメリットを大きく見積もっているが、そのデメリットは何かなど、全体を見ることで対立軸がはっきりしてくる。その上で判断する必要がある。もし、不安になる必要のない人が不安になっているとすれば、どのように乗り越えるかが重要なポイントとなる。


リスクと付き合ってきた人間、ゴミ問題をどう捉えるか

これまでも危ないものと付き合ってきたのが人間だ。火もナイフも薬もすべて最初は危ないものであった。危ないからといって付き合わないのは違う。危ないけれど便利であるなら、人間は知恵を用いて付き合い方を見出してきた。原子力に対して怖いという思いを抱くのは普通なことではあるが、原子力は便利であるから使用しようとしてきた。処理水は少し状況が異なり、便利ではない。ゴミ問題に近くなっている。扱いに困るゴミをいかにして処分しようかという問題になるので難しくなる


議論の中核は誰か? それは「私自身」である。

議論の中核となるステークホルダーは誰か。政府、東京電力、地域の方々だけなのか。多くの人は他人事としてしまっているが、そうではなく、私たち自身がステークホルダーとなり、どれだけ自分事としてその問題を捉えることができるかが大切である。特に環境問題は、多くの人が自分事として問題を捉えることで解決の糸口に繋がる。自分事として捉えることができれば自分から調べるようになり、調べるようになれば行動に移すようになる。私たちはそのような活動をしていく団体でありたい。



 

Students' View


学生1:

 先生のお話や他の学生の意見を聞き、議論する中で、福島の原発の問題に対して「自分事化」されてきたなという実感があります。あらゆる社会問題に対して自分事として捉えていけるようになりたいと思いました。


学生2:

 普段あまり議論することがない処理水問題について議論でき、とても貴重な機会になりました。エネルギー問題や環境のことを学ぶなか、さまざまなところで自分事化して考えろと言われていたのですが、正直その意味が自分の中で理解できていなかったところがありました。今回の議論の最後に先生が「君はステークホルダーじゃないのか」と聞いてくださった時、自分事化するとはそういうことだったのかとはっとさせられました。さまざまな問題について、何か自分に関係し、通ずるものがあるんだという認識をしっかり持って行動していきたいと思いました。


 

Conclusion

 

福島の汚染水問題をテーマとして、社会問題や環境問題に対する私たち自身の態度はどうあるべきなのかというところに立ち返った。問題解決への第一歩は、目の前の問題を自分事として捉えること。そして、その問題について自分自身が持っている知識は十分ではないということを自覚し、調査に励むこと。そうすれば自ずと問題解決に向けて行動しだす。改めて自分事としてSDGs推進を捉えられているかどうかを確かめる必要があるのではないだろうか。多くの人が自分事として問題を捉えることが、SDGsの近道となるだろう。

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